避難はしご

院生とフリーターの重ね合わせ状態

僕とNUMBER GIRL

しがない、にわかライブキッズの戯れ言です。

 

事の始まり

NUMBER GIRLに出会ったのは、アジカンN.G.Sの由来を知ったときだった。

ゴッチがドはまりしていた伝説のバンドがあった、という情報だけはあって、youtubeNUMBER GIRLを検索した。

初めて聴いたときの感想は「なんじゃこりゃ」だった*1

当時の僕は高校生で、知ってる音楽はバンプアジカンエルレ、なんて典型的なロキノンキッズだった僕には、全く理解できない境地だった。

 

しばらく時が流れ、大学生になった僕は再びNUMBER GIRLと出会った。

切っ掛けは椎名林檎の『神様、仏様』だった。

“繰り返される、諸行は無情、蘇る性的衝動、冷凍都市の暮らし、行方知らずのあいつ、いつの間にか姿眩まし”

ただそれだけを唱え続けるおっさんがやけに印象に残った。

調べてみるとこのおっさんは向井秀徳というらしかった。

このおっさんがやってたバンドがNUMBER GIRL、あぁ、あのときよく理解できなかった音だ、何て思いながら、youtubeの検索窓にそのバンド名を打ち込んだ。

その時聴いたのが透明少女だった。

この曲は、鋭く、僕の心の奥に刺さった。

 

1999年のRSR、パッとしないシャツを着た眼鏡の男が語り始める。

「あるいは、蝦夷の地に、一人佇む女の子がいましたね、あの子って、誰?そう、例えばあの子が透明少女」

間髪入れずに鳴り始めるギター、熱狂する観客、ドラムの合図と共に響くバンドサウンド、狂ったように歌い始めるボーカル、画面越しに伝わってくる熱は確実に僕に届いていた。

そして僕はNUMBER GIRLを聴き始めた。

話の主題には関係ないけど、ZAZEN BOYSにも行き始めた。

 

復活

忘れもしない2月15日、僕はバイト先でパソコンを叩いていた。

12時をほんの少し過ぎたころ、社内のslackが動いた。

NUMBER GIRLが復活する』、その知らせを見た僕は思わずスマホを手に取り、状況を確認した。

Twitterではその話題で持ちきり、向井秀徳の声明文もあることから、どうやらガセネタでは無さそうだった。

仕事そっちのけであらゆる情報を嗅ぎ回り、直ぐにRSRに申し込みをした。結果外れた。

日比谷野外大音楽堂でのワンマン公演と名阪福ワンマンツアーも外れた。

その後、唯一、京都音楽博が当たった*2

好きなミュージシャンがいて、かつNUMBER GIRLも見れる、最高の環境へのチケットを手にいれたのだ、興奮して手を出してはいけない金に手を出して入金したのを覚えている。

その後新宿も結局外れたが、9月にNUMBER GIRLがこの目で耳で肌で感じられる、その事実だけで十分だった。

 

邂逅

9月23日、京都音楽博。

連番者と11時集合だったのに11時に起きるなど色々ヘマはしたものの、無事に開演には間に合った。

一曲目のHomecomingsのsongbirdで即昇天するなど色々あったけど、ここでは割愛。そのうち書く。

四組目、never young beachが終わった瞬間に振りだす雨、駆け出す観衆、NUMBER GIRLが始まるまで30分もあるのに、その場にいた誰もがその熱を隠しきれていなかった。

僕と同じようにZAZEN BOYSのシャツを着る人、NUMBER GIRLの思い出を語る人、それぞれが雨の中で思い思いの30分を過ごした。

 

そして、ステージに向井秀徳が現れた瞬間に、観衆のボルテージはさらに上がる。

どしゃ降りの中、皆が皆ステージに向かって駆け出し、怒声がそこかしこから聞こえる。

その流れに身を任せていたら、いつの間にかセンターの二列目にいた。

会場のボルテージは上がりきり、今にも爆発しそうな緊張感の中、聞き慣れたベースの音が鳴り始めた。一曲目、『鉄風鋭くなって』。

その瞬間呼吸ができなくなった。

スタンディングにいた人間が一斉にステージに向かって駆け、飛んでいたせいで最前線は体を潰されていたのだ。

いつもの半分も息が吸えない、どしゃ降りの雨の中で、四方から人間に圧縮され、レインコートの中に熱がこもる。

「痛い、苦しい」と感じながらステージに向かって発狂し続ける、人生で一番の「死ぬ気」だった。

そして気がつけば二曲目のタッチが終わり、ZEGENでバリヤバの絶叫をする。

上がり続ける会場のボルテージは既に振りきれていて、正直自分も中盤の記憶があまりない。

ただこのときには既に、身動きできないほどの肺やその他の内蔵を圧迫され、周りの熱で蒸し焼きにされている状態が『気持ちいい』と感じられるようになっていた*3

 

4曲目。

「福岡市博多区から参りましたNUMBER GIRLです、ドラムス アヒトイナザワ

いつもの煽りで鳴り始めるドラムに全てを察した観客が絶叫し、怒号を飛ばし始める。

全人類が聴きたかったomoide in my headで振りきれたはずのボルテージは完全に爆発した。ここから何も覚えてない。

 

そして、その熱に浮かされたまま、およそ静寂とは言えない静寂の中、ポツリポツリと向井秀徳が語り始めた。

「(前半を覚えていない)、あのとき、彼女は17歳でありました」

young girl seventeen sexuality knowing、

そしてその曲後、ただ短く「そしてたまに、彼女が透明少女なわけ」

間髪入れずに鳴り始めるギター、熱狂する観客、ドラムの合図と共に響くバンドサウンド、狂ったように歌い始めるボーカル、あのとき画面越しに伝わってきた熱量は、今僕の体を完全に焼き付くしていた。

その後「日常に生きる、少女の話を」の言葉で始まった『日常に生きる少女』で謎の方向に指差しながらニコニコする向井秀徳(恐らく水族館に向けていたもの)みてゲラゲラ笑ったり、「記憶探しの旅、記憶探しの旅、ばかりであります」で始まった『tatooあり』でクライマックスへ向かい、(ごめんなさいここらへん正直あんまり覚えてません)、I don't knowで幕閉め。

気がついたときには雨が上がり、全てが終わっていた。

最初に抱いた感想は「息ができる」だった。

 

邪魔にならないようにいれていたポケットの飲み物は、およそ人肌で暖めたとは思えないほどホカホカになっていた。

きっとあの40分間、僕の体温は世界中の誰よりも高かった。

 

総評

NUMBER GIRL、本当にいたんだ!という感じです。

ここまでかいてその感想?って感じではあるけど、画面と現場は雲泥の差、月とすっぽんですよ、今までイヤホンで聴いていたものはなんだったのか?というレベル。

こんな奴等が僕の生まれる前には存在していたのか……

 

音博のNUMBER GIRLの番だけ雨が降る、それも含めて本当にエンターテイメントとして最高の時間だった。

 

90年代にあった、あのときの熱狂がそのままあったのか、と言われるとそうではなくて、過去の栄光にではなく、今を生きるバンドとしてのNUMBER GIRLに熱狂できたと思います。

鋭さというよりは、重さとか厚さみたいなものが増していたと思う*4

 

あの頃僕が鬱屈した高校生、大学生だったら確実にあの熱に浮かされていた、そう思うからこそあの時代が羨ましい、とずっと思っていた。

でも今の音を聴いて、20代という時期にこのライブに立ち会えたことは自分の中でもかなり価値があったことだと思う。

少なくとも、今までのライブのなかでトップレベルに楽しかった。

 

NUMBER GIRL、この時代まで音を届けてくれてありがとう。

ツアーもきっと当てます。

*1:当時何を聴いてこの感想を抱いたのか覚えていない。ライブ版ではないと思う。

*2:別にナンバガだけが目的ではなかった。決め手がナンバガだったことは否定しないけど

*3:多分今後これ以上の快楽を得たいなら首を絞めながら音楽を聴くしかないかもしれない。さすがに冗談ですが

*4:比較対照は画面の中のライブなのでわからんけど